2017年01月07日

岩村城女城主、あいちポップカルチャーフェスティバルへ

本日は、モリコロパークであいちポップカルチャーフェスティバルが開催されておりましたが、
長久手「血の池タルト」のPRのため、コスプレではないのですが、女城主として出かけてまいりました。
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会場には、コスプレーヤーがたくさん!
そしてカメラマンの方々もたくさん!
さすがに甲冑姿の方は見かけませんでしたが、
草摺や前袖に似たパーツを衣装にアレンジされたお方は、
何人かお見かけしました。
そんな会場を「血の池タルト」を手に歩いておりますと、
数人の方から
「岩村の女城主ですよね?」
というお声が!

おおーご存知の方がいらっしゃった!
嬉しいことよ。

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さまざまな出会いの中で、岩村の女城主の物語を語らせていただくことも出来、
とても充実した1日でした。

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確実に、岩村の女城主について
認知が広がっていることを少し実感できるこのごろ。

城主として生きようと覚悟したお直の方を演じる以上、
しっかりとした決意を持って挑まなければと思いを新たにした日でした。

本日お会いした皆様、ありがとうございました。

現代の女性たちに勇気と希望と愛を!
映画から始まる女城主のブランディングは今後も続きます。

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2017年01月02日

明けましておめでとうございまする

皆さま、新年明けましておめでとうございまする!

岩村「女城主」から新年のご挨拶をさせていただきます。
https://youtu.be/p4bNadNFtao

今年は、岩村「女城主」にとっても、期待できる1年になりそうです。
1月8日からスタートするNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。
井伊直政の養母として、井伊家を守ったとされる直虎ですが、
「おんな城主」という言葉が、日本の皆様の耳に何度となく聞こえてくることで、
我が岩村「女城主」のことも、知っていただく機会になるのでは?と
嬉しい限りでございます。

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織田信長の叔母として、三度目の政略結婚により岩村へ嫁ぎ、
織田領として岩村城を遠山影任と共に守っていたわけですが、
影人の病死後、武田勢が攻めて来た時に、3ヶ月の籠城をしながら信長の援軍を待ちました。
信長の五男を養子として預かっていたこともあり、
この五坊丸を守りたいという母の愛と
領民を見殺しにはできないという責任感とで、
武田24将の一人「秋山信友(虎繁)」の開城の条件を受け入れたのです。
それは、「某と結婚してほしい」というもの。
秋山信友と結婚すれば、織田領である岩村が武田領になるわけです。
そして、五坊丸は武田信玄の元に人質として送ることも条件でした。
信長の怒りはすさまじいものでした。
しかし、五坊丸は、武田信玄のもとで元服まで育ち、
しかも武術や学問なども身につけ、最終的には織田家に帰ることも出来、
犬山城主(勝長)となっていますから、
そのまま岩村城に残るよりも秋山の人質の采配は織田家にとっても良いことだったわけです。

また、開城の条件として、秋山は領民の命を守ると約束していました。
これも有言実行!領民たちを家に返し、その後岩村の平安を守り、
城の普請なども精力的に行っていたようです。

秋山信友は、甲斐の虎とも呼ばれていた猛将だったそうですが、
「正直で信頼がおけて、頼り甲斐のある奴」ですね!

そんな秋山と3年間は幸せに暮らしていた女城主だったのです。

ひとり、城を守る戦士としての女城主も、
この3年は女性として、妻として、充実した日々を過ごせていたのだろうと思っています。

でも、この幸せは3年しか続かなかったのですね。
やはり、時は戦国時代。
刻々と情勢が変わる中、貴重な3年だったのかもしれませんね。

今年は、岩村の女城主も出来る限り、たくさんのイベントにも参加させていただき、
「直虎」を一緒に盛り上げていきたいと思っております。

皆様のご支援、よろしくお願いいたしまする。

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2016年12月27日

女城主をブランドに!押し売り的映画製作

女城主の里 だから何なんだ?
女城主の里だから観光客の女性が大事に扱われ、特典があるのか?
 例えば、恵那名物の栗きんとんが食べ放題とか、日本酒飲み放題とか(2月の酒蔵開きの時は男性女性どちらも100円のお猪口を買って飲み放題になる)、どの店も一律半額だとか、はたまた通りを歩けば町の男衆がひざまづくとか?(2008年の時点)
 い〜え、特にない!唯一どの店や家も青い暖簾を下げていて、そこにはその家のおかみさんの名前が書かれていることくらいか。
 よしこさんの家とかかずえさんの家とか名前を読み上げながら歩くのも、少しだけ楽しめる。
「よしこさ〜ん!」と玄関先で呼んでみたら、よしこさんは出て来てくれるのかな?と呼んでみたくなる。
でもそれ以上に女城主にちなんだものを感じることは出来ないし、情報さえ得られなかった。
女城主の里と言われてからは特にだが、その前から戦国時代に女城主がいたのだという話が言い伝えられる中で、きっと岩村町の女性たちは心に何かが生まれていたに違いないと思うのだ。
 長男として生まれた男の子は、小さい頃から「お前はこの家の後継だから」とか「○○家の長男なんだから」と言われて育つため、自然に長男である自分の立場を強く意識するようになるらしい。
そのため、長男はまじめな人が多いし、一家の長としての顔が出来ていく。不思議だが、小さい頃から幾度となく刷り込まれていれば、そうなるのも納得が行く。
 だから岩村の場合も、女城主という言葉が女性たちの心に何らかの影響を与えていると考えてもおかしくないわけだ。
 全国的にも女城主は希有な状態。これはオリジナリティにつながる大事なポイントだ。
 そして、女城主の里に住む人々、そこへ訪れる観光客は、この地で何を得ることが出来るのか。観光で訪れる人々は、それぞれ何らかの期待を持ってやってくる。岩村の江戸時代の町並み、のどかな山と田園、地域の特産品、名物料理・・・。日常から離れた特別な時間や経験を求めて来る。
 しかし、それをただ1回だけの訪問で終わらせず、リピーターとなってもらうにはどうしたら良いのか。口コミで広げてもらうには何が必要なのかを考えなくては、観光の町へとシフトして行くことは難しい。そこで、オリジナリティとブランド力が試されるわけなのだ。


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⇧妙法寺のまくら塚(女城主を弔って作られた)


岩村の場合は、女城主というオリジナリティがある。そして、女城主のストーリーが訪れた人に敵将との間に芽生えた深くて強い愛情、こどもや領民を守るために強い意思と覚悟を持って生きた潔い心、そして何よりも女性としての美しい姿への共感を与える。私も女城主の物語を知った時に、励まされ自戒し、また前に向き直りといった経験をした。自分と女城主を照らし合わせ、感情移入し、共感するという、自分もこんな風に生きたい、こんな風になりたいと思うことこそ、ブランドだと言える。
 戦国から現代へと時間を飛び越えて夢を描く力があるのがブランドだ。岩村のブランディングは、まさにこの女城主という人そのものであり、このストーリーを地域づくりに活かす他ないと思ったのが、映画づくりを決心する動機だった。
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⇧岩村城址看板

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2016年12月20日

みつけもの製作日記

みつけものを製作するまでの日記が出てきました。
2010年執筆だと思います。

映画を創ったことがないのになぜ創ろうと思ったのか?
佐々木氏との出会い 明知鉄道についての研究発表の会場で市役所の観光課の樋田さんに引き合わせてもらった 発表会場で先に発言されている佐々木さん、素朴で情熱のあるコメント。
古びた「女城主の里」の看板が寂しく見えた。
本丸で静かに遠くの山を見つめていたら、戦国時代の女城主が当時どんな想いでここに立っていたのだろうと胸が熱くなり、妙な動悸を覚えた。
佐々木さんとの話 町の人たちは、数人の歴史上の偉人を学び推奨する会に別れていて、
下田歌子派 佐藤一斎派 三好学派があるが、佐々木さんは私と同じ女城主派ということで意見が一致したのがスムーズに進むことになったきっかけだろう。
1つ目は、他所から入る場合、始めに地域のどの人と話をするかというのはとても大事。
なぜ女城主を地域のブランドにすると良いのかという、女城主の価値についての話を敢えてする必要がない。まずそこはすでに一致していることからスタート出来る。
2つ目、またその地域で顔が広く、周りの信頼を得ている人と話をすること。
他所から来て、映画を創りませんか、女城主をブランドにしませんかというかなり一方的な話をする訳なので、その地域でこれまで信頼の蓄積がある人の話は、周りの人が尊重するし協力も得やすいことから、そこを事前にリサーチして入り口としていった方がいい。
佐々木さんは、後々さらに明らかになったが、地域の年長者にも腰が低く、若手には頼られる兄貴的な方で、彼の頼みだったらいつでも飛んでいくよという人が男女問わずたくさんいる。それは彼がこよなく岩村が好きで、自営の仕事もしながら岩村のために日夜走り回っている姿を地域の人がみな知っているからだろう。
私もみつけものを創るに当たっては、私の依頼を面倒がらずにいつも気持ちよく引き受けてくださり、大変お世話になった。
この佐々木さんとの出会いがなければ、「みつけもの」も出来なかっただろう。
岩村城や町中を案内してもらう際にも、細かい解説をしながら一生懸命。私は佐々木さんと会う度に、この魅力ある歴史資産を持つ岩村をもっと知ってもらうために、もっと活性化するために私で出来ることならば何でもやらせてもらいたいという気持ちが強くなっていくのだ。
「映画を創ろう」それは2009年の夏頃から実は密かに考えていたが、全く映画製作の経験のない私は、いくら厚かましても自分から言い出すことは出来なかった。絵本を作って子どもたちに読み聞かせをするとか、漫画にするとか、Webサイトを創るとかそんなことを時々佐々木さんに会っては話をしながら、ずっと頭の中はモヤモヤしていた。
その間に私は女城主に関する本を取り寄せては、夢中で読み、女城主についての資料を集め、女城主をブランドにすることの可能性や方法などを考えていた。また他の地域がどのようなブランディングをしているのか、地域振興のさまざまな取組みなどを調べた。そんな中で、私はやはり岩村は地域の農産物などをブランディングするのではなく、女城主の人生や生き方から発せられる精神性やメッセージ性をブランドにするのが、この地域のオリジナルになるのだと確信するようになった。
初めて個人的に訪れた時、冬だったせいもあるかもしれないが、町中も城山も張りつめた緊張感と知的な印象を持った。田舎ののどかさももちろんあるが、そのベースにはゆるぎないルールに乗った規律を守りながら生きているような町の息づかいを感じた。


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「いいとこだよ〜」と言う声は多い。「ではどこがいいか教えてください」
「自然は豊かだし、静かだし」「のんびりしててねえ」「近所がみんな知っとる人ばっかりだから安心」「歴史に関する行事やお祭りがたくさんある」
ではずっと住みたいかと聞くと、若い層と年配者では意見が別れる。若い層では、「通勤通学が不便」「遊ぶ所がない」「店が少ない」などの意見から名古屋やその他の都市に出たいという意見が多い。佐々木さんたち地域づくりに関わる中堅層の人たちは、こういう意見を憂う。高校生までは岩村にいても、その後は外に出てしまい、そのまま戻ってこなければ町の人口はこの先減るばかりだ。
「でも」と佐々木さんは力を込めて言った。「岩村がいい所だ、岩村が好きだと子どもたちが思ってくれれば、将来一度外に出ていっても戻ってこようと思ってくれるかもしれない。また岩村のことを誇りに思い、岩村のことを人に話してくれる。そうすれば他から岩村に来てくれる人がいるかもしれない。だから今こうやって岩村の魅力を知ってもらう活動、さらに魅力ある町にする活動を一生懸命やらなくてはだめだと思っているんです。」
佐々木さんには中学生を筆頭に3人の男の子がいて、まさに切実な問題でもあるわけだ。
名古屋に住んでいて、そういった考えを持ったことは一度もなかった。名古屋から人がどんどん出ていってしまい、閑散とした空き家だらけの町になったらなんて想像もしたことがない。でも一部の都会以外を除き、日本の地方の市町村はこうした不安を抱えている所は非常に多いと聞く。
この岩村も戦国時代は、三河から尾張を抜け、美濃から甲斐の方へ抜けていくと交通の要になっていた場所で、当時は繁華街だったわけだから、きっと今の佐々木さんたちが抱えているような心配はしていなかったのだろう。
しかし時代が変ると人の流れも変わり、町の在り方も変る。
「いい所なんだけどなあ。」
この町の発展と永遠の存続のためには、観光客が訪れる魅力づくりとおもてなしをするための仕事づくりが必要だ。
そしてその前に町の人たちが、そう決心する動機がなくてはならず、ではそれに一番必要な事は何かといえば「町に誇りを持ち、町を愛する気持ちを持つこと」。つまりシビックプライドなのだ。
このシビックプライドを地域の人たちに定着させるために、私は女城主をブランドとし、その精神性を地域に浸透させ、観光客へをもてなす企画づくりや体制づくりに役立てたいと考えた。
女城主については、確実な資料が多く残っているわけではない。しかしつなぎ合わせてみると「意思の強い」「知性ある」「優しい慈愛に溢れ」「自立した」女性であったと言える。意気盛んな武将たちにも恐れられた織田信長に逆い、領民を守るため、我が子を守るため敵の武将と結婚し、最後は織田軍と戦う道を選んだその姿は、現代の女性たちが抱える問題への答えともなる。本当の意味での「自立」と「愛」を教えられたのはきっと私だけではないと思うが、「自立」と「愛」を貫くのは、生易しいことではなく、確乎たる意思と責任が伴わなければならない。
こういった女城主の精神性が現代人に強いメッセージとなって伝わるようなブランディングをするにはどうしたらいいのか。
授業をしながら、本を読みながら、来る日も来る日もこのことが頭から離れない。
ある時、何気なくテレビで録画したお気に入りのドラマを観ていて、「やっぱり映像だよなあ」と思った。何度も繰り返す観ることが出来る。現に私は好きなシーンを何度も観たりすることがある。そしてわかりやすい。シナリオの作り方にもよるが、視覚と聴覚の両方で動画として表現されたものを観るというのは、子どもから大人まで幅広く理解されやすいし、何か他ごとをしながらでも耳だけで知ることも出来る。
「やっぱり映像がいい!ドラマを創ろう」
私はとうとう決心し、 次に岩村に出かけた際に佐々木さんに伝えた。
佐々木さんはなぜかニヤニヤしながら「ドラマですか〜」と答えた。
そこでわかったのだが、佐々木さん自身も高校時代に自主制作でショートムービーを創ったことがあるそうで、またちょうど恵那の合併記念で5年前から映画製作の計画が進んでいて、佐々木さんもそのメンバーになっているそうだ。
「で、どうやって創ろうと考えてます?」佐々木さんに聞かれ、私ももう開き直って答えるしかない。
「これからシナリオを書くので、一度読んでもらいたいんです。その内容でドラマとして良いのかどうか。そして製作はゼミの学生たちと一緒にやりますが、岩村の方たちにも手伝ってもらいたいと思っています。」
一緒に取材に同行していたゼミ生の伊藤君は、映像サークルに入っていて、サークルや授業で製作の経験が多少あると聞いていた。こうした学生たちが集まって相談しながらやれば出来ないことはないだろう。機材は大学のものを借りる予定だった。
では シナリオは書けるのか?これもまったく未知数。私はどちらかというと文章を書くのは苦手。でも今回に限っては書ける気がしていた。
「恵那に映像製作の仕事をしている人がいるんで、何か相談があれば彼に聞いてもらうといいですよ。今度紹介します。」
(プロがいたら心強い!よしなんか追い風吹いているんじゃない?)
私はシナリオもまだ書いていないのに、もう完成したような気になっていた。
実はこの時までにぼんやりとストーリーが出来始めていたのだ。帰りの道の車中で伊藤君にストーリーを話す。「どうかな?」
その時の伊藤君の返事は、あまりはっきりしたものではなかったが、「亡霊ですか?」と聞かれたことだけは覚えている。
12月、私はMacBookに向い、まずプロットを書き始めた。
頭の中にはすでに大凡のストーリーは出来ている。順序立ててアウトラインを書き、さらに肉付けをしていく。導入部の画は明確に浮かんでいる。ふと女城主には本当に子どもがいなかったのかと思った。主人公だけが亡霊を観るのだが、実は彼女は女城主の子孫だったからなのだという根拠を勝手にこじつけたため、気になっていたのだ。史実ではどこにも子どもの存在については否定されている。

夢中になってインターネットで検索をする。2つの検索エンジン、論文データベースなどをそれこそ朝から晩まで見つめ続け、シラミ潰しに調べていった。3日目あたりでは目が痛くなり、あきらめ始めた時、「女城主の子孫が書いた本がある・・・」という一文が目の中に飛び込んで来た。思わず手が止まったが、流行る心を抑えつつ、リンクをクリックする。それは「馬場六太夫」という書名で女城主の子孫が書いた本を見つけたと書かれた個人のブログだった。早速アマゾンで探してみると、なんと扱っているではないの!?
すぐに購入ボタンを押す。本の紹介文には「徳川幕府400年の間 我が馬場家はずっと監視されていた」と書いてあり、本の到着が待ち遠しくて仕方がなかった。
書き始めたら、どんどん次のカット、次のシーン、次のセリフが頭の中に浮かび出て、私は頭の中のイメージをどんどん活字にしていった。
キーボードを叩き,3日目。ほぼ完成した。
まるで自動書記のように、手が勝手に動いて書いたようだった。

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⇧2010年当時の旧岩村駅舎です。


今日、岩村へ行きます。
その報告はまた。

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2016年12月19日

ココロを動かす市民映画ー女城主の物語「みつけもの」

2012-2014年にかけ、愛知県立芸術大学美術研究科デザイン領域で地域デザインの研究をしました。
2年次の研究報告のテーマは、
「ココロを動かす市民映画とストーリーマーケティング〜岐阜県恵那市岩村町を事例として〜」でした。
2010年に岩村町で撮影した「みつけもの」は、私にとって初めての地域映画。
この町の女城主との出会いが、未経験だった私に映画製作という新しい挑戦に挑む勇気をくれました。
映画の持つ力は、すでに周知されている通りですが、
感情移入や共感する効果を使って、女城主から伝わるメッセージをまちづくりに活かすことが出来る!
と考えたのです。


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映画のシナリオを書く際に発見した女城主の子孫の存在。
その子孫でいらっしゃる馬場静枝さんとは、すでに7年のおつきあいをさせて頂いています。

主に手紙の交換が多いのですが、一緒に岩村へ出かけたこともありました。
2015年の春です。
一緒に木の実峠に行きました。
馬場さんが木の実峠にお線香を持って祈りに行きたいとのことで、
私も足を踏み入れたことがないその地に出かけたのです。
岩村の方に案内をして頂きましたが、岩村の方でさえ、その場所に立ち入るのはためらわれるという場所です。

織田信長の侵攻により、岩村城が開城された後、城内にいた領民たちが山を降りて行く際に織田軍に挟み撃ちされて全員が殺されたという峠です。

映画撮影の前、岩村城を案内するために知り合いの車に乗っていて、
道を間違えてしまいました。
轍の深い、草木が生い茂る道で、おかしいなあと思いながら進んでいたのですが、
その先にトンネルを見つけた時、「この先に進んではいけない」と直感的に感じ、
引き返しました。
しばらくしてから、インターネットで木の実峠の画像を見つけた時にハッとしたのですが、
その道は木の実峠だったのです。

女城主にすっかり魅了されている私は、やはりその場所には足を踏み入れられない何かを感じたのかもしれません。
今は、穏やかで平和な町ですが、当時はさまざまな人々の想いがあったのも事実です。
歴史を生きた人々への敬意を忘れず、
未来を考えていくまちづくりをしたいと思います。

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2016年12月17日

女城主との出会いから始まった映画創り

岩村の女城主をブランディングするために、2010年に撮影した「みつけもの」。
すべてはここから始まりました。
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その前年に、初めて岩村を訪れ、女城主の存在を知り、何故かとても惹きこまれてしまった私。

その頃、大きな悩みに打ち負かされそうになっていましたが、女城主の物語を知るほどに、勇気づけられ、励まされ、自分を鼓舞することが出来ました。
そして、この女城主そのものが今の女性たちに必ず響くコンテンツになる!と思ったのです。

映画など創ったこともなかった私ですが、気づくと
岩村の佐々木さんに
「映画を創りましょう!」と言っていました。

岩村には女城主の魂がある。
岩村は女性が創る町に出来る。
女城主のメッセージが世の中の女性たちを勇気づける存在になる。

そう、信じて走り出しました。

不思議に色んな方が手伝って下さいました。

女城主が喜んで、応援して下さっているように思いました。

「みつけもの」は、東日本大震災の直前に完成しました。
1人の女子大生が岩村を訪れ、女城主に出会い、
自分の生きる道をみつける話です。
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http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~mitukemono/


この映画の編集に入る頃、「みつけもの」のwebをご覧になった堤幸彦監督からお声をかけて頂き、それがご縁で編集のアドバイスを頂きました。
監督のブログを読んで、茂木英興さんが音楽を創って下さいました。

堤監督とは、その後の愛知県高浜市の市民映画「タカハマ物語」で、堤監督が監修され、私は監督と脚本を務めさせていただくという貴重なご縁をいただきました。

あり得ない程のご縁をたくさん頂き、奇跡的に完成したと思います。
ありがたくて、毎晩泣きました。

またこんな不思議で感動的な出会いもありました。
この映画のシナリオを書く頃に、女城主の子孫の存在を発見したのです!
史実では女城主には子どもが出来なかったようですが、ひょっとしたら?と思い、3日ほど目が痛くなるほどインターネットで探していた時に、
「女城主の子孫が書いた馬場六大夫という・・・」本があるという言葉が目に飛び込んで来たのです!

本を直ぐに取り寄せ、馬場静枝さんとおっしゃるその方に手紙を書きました。
2009年の年末です。
文芸社を通じて送りました。
文芸社から馬場さんに手紙を送りましたという連絡をもらい、ドキドキして待ちました。

年が明けた1月2日、馬場さんからお返事が届いたのです!

直ぐに会いに行きました!
新幹線で1時間40分。
馬場さんは最寄りの駅で待っていて下さいました。
「女城主のご子孫!」
感激でした。

馬場さんは、みつけものの完成試写会に名古屋まで駆けつけて下さいました。
涙を流して喜んで下さり、私も泣いてしまいました。


なんとか馬場さんというご子孫のことを、史実として認めて欲しいと思い、何か情報がないかと
その後も活動をしています。

四国の村上水軍博物館にも行きました。
女城主の子ども、六大夫は、村上水軍によって伊予の国に落ち延びたのではないかという馬場さんの調査から、学芸員の方に直接会いに行ったのです。
残念ながらまだ確実な資料は出ていません。

情報があれば、ぜひお知らせいただきたいです!
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また、女城主のことを直接語りたいと思い、女城主のリアルキャラ「岩村 直姫」をつくり、私自らが直姫として武将隊活動を始めました。

最後に共に織田信長によって逆さ磔の刑に処せられた夫・秋山信友(虎繁)を息子が演じ、共に武将隊で女城主の物語を演じています。

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Facebookで「岩村城武将隊〜蘇りし女城主〜」を検索して下さい!
https://www.facebook.com/Iwamurabushotai

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2014年04月30日

女城主と私

4月25日(土)、尾張えみの会様より講演の依頼を受け、ウィルあいちへ出かけました。
会長の田さんは、江南市の女性連絡協議会の会長さんでもあり、昨年のあいち国際女性映画祭で声をかけて頂いたご縁でした。
その時はタカハマ物語の上映レセプションということで、「みつけもの」は話題にもなっていなかったのですが、
ご挨拶頂いた時に「みつけもの」の話をさせて頂いたのでした。
何しろ岩村の女城主との出会いから始まった映画による地域デザインの研究活動です。
「みつけもの」の話をさせて頂かないと始まらないのです。

その後、まもなく田さんから連絡があり、江南女性連絡協議会主催の会で講演と上映を企画したいというご依頼を頂いたのでした。
当日はなんと愛知県立芸術大学院の審査の日とバッティング!
教授会でお許しを頂き、途中退出をして江南へ向かったわけですが、
審査そのものを「いわむら直姫」の姿で受けたため、
講演もそのままの姿でさせて頂きました。
400人ほどいらっしゃるホールの舞台に、甲冑姿で出て行った時には、
皆さんから「おーっ!」という声が(笑)。
後から写真を頂きましたが、確かに見慣れない風景。
でも、「岩村で見つけたもの」というテーマでお話する場で、この姿はぴったりだと思いました。

女城主から私や息子が頂いたものは計りしれません。
尾張えみの会でも同様に、女城主のメッセージが如何に私を動かし、
息子を変え、周囲の人たちも動き始めたか、について心を込めてお話をさせていただきました。

修了後、何人もの方から声をかけて頂きました。
「勇気をいただきました」「感動しました」「息子さんとの関係が素晴らしいと思いました」など、
みなさんがキラキラと目を輝かせてお話くださるので、こちらまで感動してしまいました。
「女城主さん、あなたのメッセージがまたここでも、多くの方に伝わりましたよ。」と
心の中でつぶやきました。

どんなメッセージなのか?について、またゆっくり書きたいと思います。
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2012年09月28日

「みつけもの」今後の上映予定

10月27日(土)なごや男女平等参画推進センター つながれっとNAGOYAで「みつけもの」シアタ&トークで映画の上映とトークタイムがあります。
http://www.tsunagalet.city.nagoya.jp/


午後1時半〜3時半で参加費は500円。恵那市岩村町で学生と町の人たちとで創った初めての町おこし自主製作映画です。


この町に出会い、女城主に出会い、どうしても映画を創りたい!と一念発起して創った映画は、色々な出会いを生みました。多くの方たちの温かい気持ちに出会ったのもそうです。また何よりもこの映画のシナリオを書いている際に、歴史上ではいないとされている女城主の子どもの子孫の存在を発見したこと、そしてその子孫の方との交流は今も続き、そこからさらなる出会いが生まれていること、私の人生を変えた、私にとっても本当の意味での「みつけもの」になりました。


岩村の町づくりのプロジェクトは、現在も続いています。この秋、私は女城主のリアルキャラとして「現代に舞い降りた婚活姫『直姫』」となり、女城主や岩村のPR、地域の活性化のための新しい活動をスタートさせます!


11月4日(日)は、岩村おかげ祭りが開催され、「直姫」のデビューステージがあります。ぜひ皆さん 遊びに来てください!「直姫」は皆さんのご縁を結びます。


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2012年08月25日

女城主のメッセージ

「みつけもの」製作中に「女城主」と「秋山信友」の子孫を発見してから、不思議なご縁が続いている。
上記の子孫「馬場静枝」さんとは、ひと月に一度は、多い時は一週間に一度は手紙や電話での交流を続けさせて頂いているが、
昨年は「秋山信友」の弟「信藤」の二男「正時」の家系の「秋山」さんと初めてお会いすることになり、
東京の馬場さんのお宅でお二人をお引き合わせも出来た。
今年になって「信藤」の長男「信時」の家系の「秋山」さんともご縁を頂き、交流をさせて頂いている。
馬場さんとお二人の秋山さんも1575年に「女城主」と「信友」が逝去してから436〜7年間経って、初めてお互いの存在を知り、
顔合わせをされたわけで、これも「みつけもの」が生んだご縁ではないかと手前味噌ながら思い、感動している。
馬場さんの祖先「馬場六太夫」から見れば、二人の秋山さんは叔父さんの子孫に当たるわけで、大変近い親戚筋になる。
三人の方々は何れも60代から70代の女性で、それぞれに先祖について大変勉強されていらっしゃって、博識で、私のような若輩者は言葉を挟む余地がない。それもやはり先祖があるからこその今の命を大変感謝されているからこそで、その姿勢に改めて我が身を反省することもしばしばだった。私など400年前の自分の先祖はどうだったのかなど考えたこともなく、せいぜい3代前までの先祖の話を漏れ聞くのみ。
でも三人の方のお話を聞いていると、こうして綿々と命はつながれているのだなあ、一人で生まれて来たように偉そうにしているけどその前にはたくさんの先祖がいて、この後も子孫がこうして続いていくのだなあとつくづく考える。今の自分の生き方が子孫に全く影響がないとは言えないわけで、一層身の引き締まる思いがする。
岩村の町づくりを「女城主」の精神性をキーワードにデザインしていくという志は、衰えるばかりかますます高まる一方だが、この岩村との出会い「女城主」との出会いは、私自身に生きがいという心の支えを下さった。
戦国時代を最後まで信念を持って生き抜いた「女城主」そして「秋山信友」の想いが、岩村には今もしっかりと根付いていると思う。この町から今の時代を生きる私たちに「強く生きよ」というメッセージが伝わってくる。
それが、この町のブランドとなり、地域の発展に繋がるキーワードとなるはずだ。どの時代にも乗り越えなければならない試練が必ずあり、どの人の人生にも山もあれば谷もある。だからこそ「女城主」が発信するメッセージは人々の心に響き、この町を訪れることで人生に立ち向かう勇気を得るのだと思う。
私はこの秋から「女城主」をもっと知ってもらうために、「女城主」リアルキャラとなって町に立ち、女城主のメッセージを皆さんに伝えていく予定だ。
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2011年12月20日

「地方の時代」映像祭で奨励賞受賞!

「みつけもの」が「地方の時代」映像祭の市民・学生部門で奨励賞を受賞しました!
11月19日、関西大学で行われた授賞式に出席した模様をお話します。


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当日は朝から雨。主役を務めてくれた愛知淑徳大学の卒業生、鈴木百合香さんと一緒に車で向う予定だったのを
急遽新幹線に切り替えたのが功を奏しました。
岩村から車で向っていた方たちは、交通事故による大渋滞に巻き込まれ、下道に下りたらまた渋滞にはまり、と
結局到着したのは式が終わった後だったのです。
前日の夜は消防団の仕事で殆ど徹夜だったようで、皆さん到着した頃にはお疲れモード。
それでも受賞を大変喜んで下さったので、私も心から「創ってよかった〜!」。
会期中は関西大学内で数回上映して頂けるそうですし、
こんなに大きなコンペの賞を頂けたことが不思議でもあり、光栄でした。


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式後、レセプションでは美味しいお料理を頂き、
グランプリを受賞されたNHKスペシャルのディレクターさんや、他受賞者の方々、審査員の先生ともお話をして
楽しい時間を過ごしました。




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それにしても岩村の地域振興デザインの第一歩として始めた「みつけもの」
初めてのことばかりで、試行錯誤の連続、必死の撮影と編集でしたが、
みなさんに助けて頂いて、こういった評価も頂けて、
本当に感謝しています!

これからも地域振興デザイン、コトのデザインに邁進するのみ!
ガンバルゾ!DSCN0057.JPG

posted by みつけもの at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記